
合同会社 氣月
代表
瀬戸川 美咲
平成6年 (皇紀2654年) 生まれ
神奈川県横浜市出身
小さい頃から魔法使いの不思議な魅力に取り憑かれ、魔法使いに近付きたい気持ちと自身が病弱だったことから薬剤師を志し、薬学部に入学しました。
私は4回ほど入院したことがあります。
極め付けは、高校3年生の12月のことでした。
「退院は検査の結果次第です。
最低でも1ヶ月はかかります」
なぜ、今?
と思わずにはいられませんでした。
1月の3週目にはセンター試験があり、2月1週目には薬学部の試験が揃い踏み。
それなのに、入院しなければならなくて、しかもいつ出られるかわからないなんて…。
病室で勉強させてもらっていても、目の前が真っ暗で、夜な夜な枕を濡らす冬でした。
結局検査の結果は良好で、入院期間は最短の1ヶ月程、それもセンター試験の前日に退院することができました。
無事薬学部に入学した後も、退院後も2年くらい通院が必要でした。
大学で薬学を学びながら、通院しながら、考えたのは、
「人はなぜ病気になるのか」
「どうしたら病気にならなくなるのか」
ということでした。
最初に辿り着いたのは、漢方薬などの東洋医学の考え方でした。
最近知名度が上がってきた「未病」という考え方、自分が本来持っている力を引き上げることによって治療する方針。
東洋医学を学ぶうち、気がついたことは、体調を崩さないようにするために「養生」することが大切だということでした。
食事、睡眠、運動。
生活習慣が自分の体を作っているからこそ、そこを正さなければ、「ぶれにくい体を作る
養生を学んで気がついたことは、「自立した心」が何よりも大切だということでした。
「これさえを食べれば大丈夫」
「これさえしておけば大丈夫」
薬も食べ物も体をどうにかしてくれるものではなく、体のとある部分に影響を与えるだけなのです。
結局は自分の体がきちんと反応してくれたり、修復してくれたりするお陰で、私たちは「治った!」と喜ぶことができているのです。
誰かや何かがなんとかしてくれるのではなく、自分(の体)が治しているだということを忘れてはいけないと強く感じました。
そんなことに気がついた頃には6年間の薬学部生活も終盤に入っていました。
どこで働くかを考えた時に、臨床現場では自分の気づきを活かせないと感じて、大学院に進学して大学教員を目指す事にしました。
薬剤師の卵たちと触れ合うことで、これからの薬剤師に影響を与えられたら、と思ってのことでした。
無事、色々な方々のお陰で博士の学位を取ることができ、新たな大学で教育に携わることになりました。
そこで直面したのは、あまりにも自分の未来に対して夢のない学生たちでした。
1年と少し、学生たちと接した結果分かったことは、大学生の彼らが抱える問題を解決しようと思うと、大学生だけと接していてはダメだということ。
もっと低年齢から教育が変わる必要があると感じたのです。
能登半島へ移住したいという転機もあったので、大学教員という立場を離れて、夫と共にどうやって教育に変化を与えていけるのか、日々模索しながら、過ごしております。
ここまで読んでくださった、ご縁あるあなたにお会いできるのを楽しみにしております。